2008年11月17日月曜日

新内研修演奏会

 12月7日(日)、研修演奏会がございます。私、タテ三味線で出ます。皆様、是非おいでくださいませ(^^ゞ
 今回の演目は「ふぶきのわたしさくらのわかれ すみかのだん」という、佐倉宗吾郎の伝説を新内にしたものです。

佐倉惣五郎

佐倉惣五郎 さくらそうごろう 生没年不詳。江戸時代の代表的な義民。名は宗吾・惣吾ともいわれるが、当時の下総(しもうさ)国公津台方(こうづだいかた)村(千葉県成田市)の名寄(なよせ)帳には惣五郎とある。子孫とされる家は木内(きうち)姓を名のっている。惣五郎についての史実はほとんど不明で、義民伝承のかたちでつたわっている点が多い。

時代背景には、下総(しもうさ)国佐倉藩主堀田正信が領内への苛政などを理由に1660年(万治3)改易され、のち幕府代官が領内の租税を軽減した事実があった。いっぽう「地蔵堂通夜物語」「佐倉義民伝」などの伝説は、公津村の名主惣五郎が重税にくるしむ領民を代表して、上野の寛永寺に参詣中の将軍に直訴(じきそ)し、租税は軽減されたが惣五郎一家が死刑となり、その怨霊によって堀田氏がほろびるという筋書きである。

その後正信の弟正俊の子孫正亮(まさすけ)が1746年(延享3)藩主として佐倉に入封すると、惣五郎一家の百回忌にあたる52年(宝暦2)に、惣五郎伝承ののこる将門(まさかど)山に口の明神(みょうじん)を建立し惣五郎をまつった。さらに惣五郎の子孫とされる台方村の利左衛門(りざえもん)一家に、藩主から5石の田地があたえられるなど、伝承の一部が史実化されていく。

1851年(嘉永4)江戸中村座で歌舞伎「東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)」が上演され、主人公の浅倉当吾が室町時代を舞台に義民劇をくりひろげ、同内容の講談や口説(くどき)の流行とともに、庶民の間にも義民の代表者惣五郎の話が根づくことになる。明治期には、自由民権運動の先駆者とされた。惣五郎の墓所とされる成田市の東勝寺は宗吾霊堂とよばれ、現在も多くの参詣者がある。

 ご希望の方にはチケット、無料でお送りしますー。パンフには2,000円って書いてますが、それは一般の方用です。一門からは無料でお配り致しておりますので、お気軽にどーぞー。

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